ニシグチ時間 Part2【後編】 ~100分でニシグチエリアの寺社仏閣を歩いて探訪~

樋口

こんにちは!ニシグチラバーズ(市民ライター)の樋口です。
シリーズ「ニシグチ時間」の記事を担当します!

本シリーズ「ニシグチ時間」のコンセプトは「空き時間をニシグチエリアで素敵な時間に!」

電車やバスの待ち時間、授業の合間などを使ってニシグチエリアを楽しんでもらいたいと思い、テーマに沿って探索することができるルートを紹介します。散歩のルートとしてもおすすめです。

前回の記事からはPart2として、ニシグチエリアの「歴史」に着目したコースを紹介しています。

後編では、寺社仏閣を中心に掘り下げます。ニシグチエリアはかつての祇園城の城下町に位置する場所ということもあり、多くの神社や寺院がありますね。    

今回のコースは、徒歩での所要時間がおよそ100分と、以前の記事で紹介したコースよりも少し長めになっています。その分、多くの箇所をよりじっくり探索できるように構成しました。

【主なスポット・経過時間の目安】

小山駅西口→三夜通り→常光寺(7分)→須賀神社参道→須賀神社(25分)→妙建寺(45分)→小山評定通り→祇園城通り→小山宿通り→元須賀神社(65分)→光照寺(80分)→みつわ通り→小山駅西口(100分)

それでは、探索開始!

常光寺に見る、戊辰戦争の爪痕

小山駅西口から出発です。左手に進み、ロブレを左に曲がり「三夜通り(さんやどおり)」に入ります。三夜通りを2分ほど直進すると、始めの目的地である常光寺に到着します。

小山駅西口から向かって左手が「三夜通り」です。

ツバキの植え込みに囲まれた荘厳な門をくぐって、中に入ります。新幹線の線路が見える、珍しい光景です。

常光寺の門前
常光寺の本堂からは、新幹線の線路が見えます。

常光寺は鎌倉時代に創建された浄土宗の寺院です。

本堂の右は二十三夜堂があり、この辺り一帯の氏神をまつるものです。過去には二十三夜待ち(旧暦の毎月23日に人々が集まり、月が出るのを待つ行事)が行われていたことから、先ほど通ってきた通りが「三夜通り」と名付けられたそうです。

境内にある二十三夜堂

また、常光寺にある阿弥陀如来像 は寛延元年(1748)につくられたものです。この像は一部が傷ついていますが、それは慶応四年(1868)4月に小山市周辺で戊辰戦争の戦いが起こった際、砲弾が当たったときにできたものだそうです。

阿弥陀如来像は、市の文化財にも指定されています。

小山評定ゆかりの「須賀神社」

さて、常光寺を後にして、次の目的地に向かいます。三夜通りを右折し、3分ほど直進します。交差点のある大きな通り、「小山宿通り」に出ます。左折してさらに3分ほど直進します。

すると、「徳川家康公 小山評定と祈願成就の社 須賀神社」と書かれた看板が見えてきます。看板の通りに右折し、参道に入ります。

小山宿通りから見た、須賀神社参道への入口

参道はイチョウやケヤキ、アジサイなどの木々と、たくさんの灯篭に囲まれています。

須賀神社参道の様子

このように、住宅街の中を貫く参道は珍しいのではないでしょうか。参道をまっすぐ進み、横断道路を渡ると、いよいよ須賀神社に到着です。

須賀神社本殿前の鳥居

須賀神社が創建されたのはなんと天慶3年(940)年とのこと。摂関政治を行ったことで有名な藤原氏の直系の子孫である藤原秀郷が戦勝祈願を行い、それが成就したことが神社の起源であるとされています。

さらに、慶長5年(1600年)には、徳川家康がこの須賀神社の境内の中で、小山評定を開いたといわれています。

須賀神社の中には、本社だけではなく、天満宮や稲荷神社など、様々な末社があります。また、先ほど紹介した藤原秀郷や、小山氏の祖である小山政光などにまつわる史跡も保存されています。本社以外にも様々な見どころがありますね。

境内に入ってすぐ右手のところには、藤原秀郷を称える石碑がありました

家々に囲まれた参道とは異なり、神社の中は木々に覆われています。境内のいたるところにツバキの木が植えられており、取材した日にはきれいな花を咲かせていました。

本殿の裏手から撮影したもの。2色が混じったツバキの木もありました。

須賀神社の隣に立つ「妙建寺」

須賀神社を出て右隣には、なんとお寺があります。次はそんな場所に位置する妙建寺へ向かいます。

妙建寺の門前からの光景。

法頂山妙建寺は日蓮宗の寺院で、本堂のほかに、供養塔やセレモニーホールが併設されています。建立されたのは建武元年(1334)のことで、創始依頼これまでに一度も火災に見舞われていないそうです。

妙建寺本堂。左手には供養塔などがあります。

妙建寺の本堂は、およそ300年前の享保2年(1717)に建てられ、天井には百人一首を題材とした55枚の画が描かれているのが特徴です。取材した日にはまだ改修工事が行われており、残念ながら見ることができませんでしたが、3月25日から一般参観でもその内部を見ることができるようになりました。

もうひとつの「須賀神社」へ

妙建寺を出発し、小山市役所方面へ進みます。小山御殿広場に面した交差点を右折し、祇園城通りに入ります。左手の歩道を通るのがおすすめです。3分ほど直進し、交差点を左折して小山宿通りへ入ります。

この「小山宿通り」を直進した先に元須賀神社があります。

さらに直進していくと、鳥居が見えてきます。ここが「元須賀神社」への入り口です。住宅に囲まれた参道を歩いていくと、道路越しに小さなお社が見えてきます。

元須賀神社の入口の鳥居の様子。奥に見えるのが本殿。

元須賀神社がある場所には、もともと須賀神社が建てられていたそうです。この元須賀神社は、江戸時代には「元祇園社」や、「牛頭(ごず)天王社」などと呼ばれていたようです。

参道を通ると、道路を挟んだ向かい側に本殿があります。

神社内にある看板からは、このように参拝の作法が書かれていました。神社ごとに異なる参拝方法があり、それを実践することも神社巡りの面白さといえますね。

看板に、元須賀神社の参拝方法が書かれていました。

光照寺 ―小山と笠間のつながり 

元須賀神社のお社の右手に進み、すぐの突き当りを右折します。次に、交差点を渡って直進します。道路の中央に十字のマークがある信号のない交差点をさらに右に曲がり、2分ほど歩きます。

今回のルートの最後の目的地である光照寺に到着です。

光照寺の入口の様子。

衆徳山光照寺は時宗の寺院で、阿弥陀仏をまつっています。敷地の中には、時宗の始祖である一遍上人(いっぺんしょうにん)の像がありました。

一遍上人の像がありました。時宗の祖であり、踊念仏などを編み出したことで有名です。

朱色を基調とした本堂から振り返ってみると、小山駅周辺の建物を普段とはまた異なった視点から見ることができます。

光照寺内から小山駅方面を見た光景。みつわ通りの建物が並んで見えます。

また、本堂から見て左手には、笠間藩にゆかりのある人々の墓がありました。笠間藩は、江戸時代に現在の茨城県笠間市を中心に構成されていた藩です。笠間藩の領地と小山は、小山と水戸を繋ぐ結城街道によって結ばれていました。どちらの街も宿場町であり、人の往来が盛んであったそうです。

笠間藩士、海老原清右衛門徳教の墓。

光照寺から東側(門から見て左手)に直進し、祇園城通りへ合流します。そこから小山駅西口へ向かい、今回のコースは終了です。

お疲れさまでした!

おわりに

後編では、ニシグチエリア内にある寺社仏閣のうちのいくつかを巡りました。小山市というと、小山政光の活躍や、徳川家康の小山評定が有名です。ですが、今回の探索からは、江戸時代の小山とほかの地域との関わりや、戊辰戦争の爪痕などを見つけることができました。小山には私たちが知らない歴史的な要素がたくさん詰まっていると感じました。

ニシグチエリアには、紹介しきれなかった神社やお寺がまだまだあります。お時間や距離などに合わせて、気になった場所を訪れてみてください!

それでは、ニシグチエリアで素敵な時間をお過ごしください!

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