まちの変遷を知りそこから人々の暮らしの変化を紐解く。「ニシグチオヤマのきおく」

こんにちは。インターン生ののあです!

ニシグチオヤマではこれまで小山駅西口エリアの様々な魅力を発信してきましたが、私はその中でもニシグチエリアの「まちの変遷」に注目をしてインターン活動を行ってきました。

まちの移り変わりがあるということは人々の暮らしも変化しているということ、変化を知ることで歴史の中にあるストーリーを残していきたいと考えたからです。

今回の記事ではこれまで調べたことを小山駅ニシグチのシンボルロード「祇園城通り」に沿って紹介していきます。

「祇園城通り」とは、小山駅西口からまっすぐに伸びる道のことで、かつては小山駅前通りと呼ばれていました。2003年に市が市民のみなさんから愛称を募集し「祇園城通り」と名称が変更されたようです!

2022年:X橋からの祇園上通り
2022年:祇園城通り
1963年:祇園城通り

建物の高さや入っている店舗はかなり変化しましたがどこか面影がありますね!

祇園城通り沿いのお店の並び方があまり変化していないからでしょうか。

昔は今のような広い歩道はなく、建物のすぐ目の前に砂利の道路が走っていました。そして栃木までの乗り合いバスが走っており、通勤や買い物でたくさんの人が祇園城通りを利用していたようです。また、祇園城通りは商店街として栄えていたようですよ。

祇園城通りの特徴はなんといっても2,3メートルもある歩道の広さ

道幅のおかげもありよくお子さんと手を繋いで散歩するお父さんお母さん、お友達と並んでおしゃべりしながら歩く学生さんを見かけます。

また、小山の初市(だるま市)などのイベントや社会実験としてテラスオヤマが行われたり、まちのプロムナードが設置されたりと人々の交流の場にもなっています。

「祇園城通り」の概要はこちらからチェック!

祇園城通りの出発点、小山駅西口には100年以上の歴史があった!

まずは、通勤・通学・休日などみなさんが様々な場面で利用している小山駅の歴史についてです!

2022年:小山駅

小山駅ができたのは1885年。日本鉄道線(現在の東北本線)の駅として開業しました。

その後1888年に両毛線が、1889年に水戸線が開通しています。

1928年:小山駅
1958年:東北本線が電化し、上野宇都宮間が初開通したときの様子
1961年:小山駅の通勤風景
1967年:平成天皇が小山駅を利用されたときの様子

1978年に現在の駅舎が完成し、1982年には東北新幹線が開業しました。

私たちがイメージする「小山駅」は45年ほど前に作られたものだったのです。

1987年:小山駅(国鉄民営化前)

そして現在の駅舎完成後すぐに駅ビルが開業したそうです。

もちろん店舗の入れ替わりは早いですが昔は駅が「最新のお店が入るところ」

駅ビルができてからは中高生定番の遊びスポットになっていったようですよ!

その後は1987年の国鉄の民営化によってJR東日本、JR貨物の駅になりました。

そのため民営化前にはなかった「JR」のマークが現在の駅舎についているんですね。

このように木造から鉄筋コンクリート造りに、汽車から電車へ、国鉄の民営化など

小山駅ができてからの137年でいろいろな変化があったようです。

しかし、「人々が集まる場」としては全く変わっていないようですよ。

アトラスタワーが建っている場所には、多くの商店が存在していた!?

次に祇園通り沿いで一番高いビル「アトラスタワー」についてです!

みなさんは「アトラスタワー小山城山町」をご存知でしょうか?

このビルは市街地再開発事業で駅前交差点に面した場所に2021年に建てられたマンションで、1、2階には移転した足利銀行小山支店が入っています。

アトラスタワー正面

3階からは分譲マンションとなっていて、1階には薬局も入っています。

訪れた方、見たことある方はわかると思いますが、敷地面積が広くとても大きなビルなんですよ!

では、「アトラスタワー小山城山町」が建てられた場所にはかつて何があったのでしょうか。

そこで、昔の地図から探してみると赤線で囲まれた部分が該当エリアだということが分かりました!

アトラスタワーが建てられた場所にかつてあったお店

こんなにいろいろなお店があったなんて、驚きですね。

果物店があったり毛糸屋さんがあったりと、今はあまり見かけない気になるお店がたくさんありました。もともと祇園城通りは商店街だったため、このような個人店がたくさん存在していたようですよ。

みなさんはかつてこのようなお店が入っていたことをご存知だったでしょうか??

私はアトラスタワーが建てられる前から西口を知っていましたが、地図を見るまで「かつてどんなお店があったか」は忘れていました。

(恥ずかしながら、今の建物の記憶はあるけれど、昔のことは全く覚えていなかったんです。)

まちの景色は目まぐるしく変化していきますが、

私たちの記憶もどんどん塗り替えられていきかつてのことは忘れてしまいやすい

そんなことを実感しました。

足利銀行小山支店:場所はあまり変わっていないけれど、実は少しずつ変化している

次に、アトラスタワーに入っている「足利銀行小山支店」についてです!

みなさんは小山駅西口側にある足利銀行小山支店を訪れたことがありますか?

現在の足利銀行は新しく建ったアトラスタワーの1,2階に入っていてとてもきれいです!

老朽化の影響で2021年に移転したようです。

そこで2021年以前の足利銀行の様子を振り返ってみました。

昭和30~40年代(1955~1965年)
改築後
2022年:解体作業進行中①
2022年:解体作業進行中②

場所はあまり変化していませんが少しずつ変化していますね。

「写真を見るまで昔の様子を忘れていた」という方もいらっしゃったのではないでしょうか。

たしかにまちの景色は日々変化していくので忘れてしまうのも無理はないでしょう。

しかし今は新しいと感じる足利銀行小山支店もいつかは古くなり、かつてのように改装や移転をするときが訪れるはずです。

その時、かつての様子を誰かに話せる方がいると素敵ですよね。

吉澤ビルはニシグチエリア初の4階建てビルだった!?

次は祇園城通りの中間地点にある「吉澤ビル」についてです!

みなさんは吉澤ビルをご存じでしょうか。

吉澤ビルはフジヌマカフェの隣にある建物で「hair salon bath」という美容室やまつ毛サロンが入っているビルです。

2022年:祇園城通り沿い
2022年:吉澤ビル

写真を見れば「なんとなく!」わかるかもしれません。

今となってはニシグチエリアに溶け込む建物ですね。

しかし実は!

この建物はニシグチエリア一帯で初めての4階建ての建物だったんです!

ご存じでしたか??

吉澤ビルが建ったのは昭和40年代ごろ。

当時は平屋が並び建っていたため、4階建てはとても目立っていたでしょう。

現在のアトラスタワーのようなイメージでしょうか。

1963年:小山駅から見た祇園城通り

当時の写真がなかったため昭和38年(1963年)の小山駅周辺の写真を載せましたが

やはりその頃は1~2階建ての建物ばかりですね。

今では驚かれることのない4階建ても、

その当時は「新しいもの」として見られていたと思います。

昔の「常識」を知ると時間とともに変化するまちの景色を実感することができますね!

通学・通勤など多くの方が利用する小山駅西口交差点は歩道橋(X橋)ができるまで交差点事故が多発していた

次に「小山駅西口交差点」です!

2022年:小山駅西口交差点

四方へ行けるX橋はとても便利ですよね。小山第一小学校の子どもたちの通学時や市役所や図書館へ向かうとき、急いでいて信号待ちする時間がないときなど様々な場面で多くの方が歩道橋を利用しているのを見かけます。

しかし昔は、国道4号線にX橋(歩道橋)が架けられておらず事故も多発していたようです。

1955年:小山駅西口交差点

というのもその頃は自動車交通が急速に発達した高度経済成長期。自動車利用の増加の一方で歩道や信号機の整備は不十分だった時代です。そのため歩行中の死者が多く出ていたそう。昔から交通量も多かったことを考慮すれば、事故が多発していたことも理解できますね。

その後、X橋が架けられ、事故は大幅に減少しました。

今では見慣れたX橋も、事故を減らし、安全な道路にするために架けられた重要な歩道橋だったことが分かります。

観晃橋は二度架け替えられていた!?

観晃橋は城山公園の先にある思川に架かっている橋で、小山駅からは徒歩15分くらいのところにあります。100年以上もの歴史を持つ観晃橋ですが、実は現在の橋はもともとの橋ではないんですよ!

旧観晃橋は1899年に建設されましたが、その当時は木造の橋でした。

その後1936年に2車線の橋へと架け替えられました。

1965年:2番目の観晃橋

しかし、1977年の台風による洪水が原因で陥落し現在の観晃橋へと架け替えられます。

1977年:台風による洪水が原因で陥落した観晃橋
1989年:3番目の観晃橋

よく見ると、橋脚や高欄(転落防止のために取り付けられる柵)の様子が違っていますね。

1965年:2番目の観晃橋
1991年:3番目の観晃橋

ところで架け替えられる際に市民から「機能だけを重視した無機質な橋ではなく、人間性や美観に配慮したデザインにしてほしい」という声が出たそうですよ。

小山市の歴史において、観晃橋は都市景観を考える大きなきっかけになったようです。

観晃橋の下を流れる思川は昔の子どもたちの「夏の楽しい遊び場」であり、屋型船が通る「癒しの場」でもあった

次に「思川」についてです。

2022年:思川
1962年:思川で川遊びをしている子どもたち

最近はこのような風景を見ることがなくなりましたね。

しかし昔は夏になると多くの子どもたちが思川へ遊びに来ていたようです!

泳いだり、浸かったり、年上の人に手をつないでもらったり…

地域の子どもたちにとって思川はとても楽しい「夏恒例の遊び場」だったようですよ。

というのも昔はプールがなかったため、夏の遊び場というと「川」が定番だったようです。

1962年7月に初めて市営プールができてからは子どもたちの水遊びの場も少しずつシフトしていき、今では川遊びをする子どもの姿を見ることはほとんどなってしまいました。

今では「川遊びは危険」というイメージさえありますね。

また屋型船はご存じでしょうか。

屋型船とは船の上に屋根をつけ家形の小座敷を設けた川船のことで

船上で宴会や食事などを楽しむことができます。

実は昔の思川には屋型船が通っていたんですよ!

1935年:屋型船が通っていたころの思川

そこで多くの人が飲食を楽しみました。

青柳川魚店さんでは料理を提供していたそう。

思川で獲れたヤマメの天ぷらなどが出されていたようですよ。

思川で獲れた食材を思川で食べる、とても素敵ですね。

番外編:小山駅西口前、足利銀行前交差点、市役所前交差点、市役所前桜並木などの風景も変化している

まずは小山駅西口前からの景色です。60年ほどで商店街はなくなり、高い建物も増えました。

次は足利銀行前交差点です。歩道や周辺の建物なども大きく変化しています。

次は、小山市役所前交差点です。周辺の建物は変化したようですが、昔のままの部分も見られますね。

最後は、小山市役所前桜並木です。春になると美しい花を咲かせる桜たちは1975年に植えられました。

また、植樹されたのは全て小山市の花である「思川桜」。市役所前の並木には50年近い歴史があったんですね!

今の景色がいつかは「過去」になる。日々変化するまちの景色を心にとどめておきたい

このように、まちの景色は日々変化し、さまざまな風景が「過去のもの」になっていきます。普段は気がつかない小さな変化の積み重ねがいつかは「歴史」になっていくのです。

しかし、そのような過去や現在の風景を忘れてしまうのではなく、

貴重な歴史として心の中にとどめておけたら素敵ですよね。

自分が暮らすまちのことを少しでも知り、覚えておけたらいいなと思っています。

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