時の流れとともに、まちの様子が変化していくなか、忘れ去られていくまちのきおく。
そんな移り変わりを紹介し、当時の様子を少しでも多くの方々に届けようという考えから「ニシグチオヤマのきおく」は始まりました。各項目30秒で読めますので、今と昔の様子を楽しんでいただけましたら幸いです。
2023年4月号~2024年3月号まで広報おやまに掲載した「ニシグチオヤマのきおく」をまとめたものになります。
Contents
JR小山駅 1885年の開業から市民の生活を支える拠点
小山駅は1885年に日本鉄道線の駅として開業し、その後両毛線(1888年)や水戸線(1889年)が開通されました。
現在の駅舎になったのは1978年のこと。

駅ビルも同時期に開業し、ビル内には多様なお店が立ち並び中高生の遊び場としても親しまれてきました。
1982年には東北新幹線が開業し、1987年の国鉄の民営化によりJR東日本とJR貨物の駅となりました(民営化前の写真から現在の駅舎にあるJRのマークがないことが分かります)。

小山駅は木造から鉄筋コンクリート造りへ、汽車から電車へと、時代の流れと共に変化しながら137年間、人々が集まる場所として暮らしを支え続けています。
みつわ通り 活気に満ち溢れていた商店街通り
小山駅西口から右手に緩やかにカーブを描く、みつわ通り。
通りで商売をしてきた人に話を伺うと、かつては活気に満ちあふれた商店街だったそうです。
当時の様子を写真で見せてもらうと、何やらまちなかを歩く仮装行列の姿が。手に握られた看板には「お買い物はみつわ通りで」と書かれ、買い物客で賑わっていた様子が伺えます。

昔ながらのブティックやカラオケスナックには今でも常連客が通い、居酒屋やコワーキングスペースなどの最近できたお店に訪れる人たちもいます。
皆さんもみつわ通りに足を運び、移り変わるまちの様子を感じてみてはいかがでしょうか。

三夜通り 何でも揃うといわれた商店街
三夜通り商店街が誕生したのは昭和23年、戦後間もない頃のこと。
活気を取り戻そうと様々な人たちが集まり、三夜通りで商売を始めるようになりました。

次第に数十店舗のお店が並ぶようになり、うどん屋やとんかつ屋、床屋や果物屋さん等、三夜通りに来れば何でも揃うといわれるほどになりました。
三夜通りで古くからお店を営んでいる方にお話しを聞くと、昭和40年~ 50年頃は通りを横切るのも難しいほど賑わい、ライバル店と商売を競い合っていたそうです。
平成に入ると商業施設ができ、現在の三夜通りの姿へと移り変わりましたが、人々の生活を支える場所であることは今も昔も変わりません。
皆さんも三夜通りに足を運んでみてはいかがでしょうか。

祇園城通り かつての停車場通り
かつて汽車・電車がとまる場所は「停車場」と呼ばれ、小山駅とつながる祇園城通りは
「停車場通り」と呼ばれていました。

昭和30年頃の祗園城通りの様子を見ると「思川の舟遊び」や「キャラメル」などの看板が立ち並ぶ写真からは、様々な商売が営まれて人々の暮らしを支えていた様子が伺えます。
その後、まちへの親しみ、わかりやすさ、歩く楽しさをさらに実感できるようにと、小山市が市民から愛称を募集し、2003年(平成15年)に「祗園城通り」と呼ばれるようになりました。

足利銀行小山支店 交差点の一角からまちの移り変わりを見る
小山駅前にある交差点の一角でまちの移り変わりを見てきた足利銀行小山支店。
昭和30年~ 40年頃の小山支店は写真のように趣のある造りでした。

その後も多くの人たちが行きかう場所でお店を構え続け、令和3年に道路の向かい側にあるアトラスタワーに移転。
旧店舗は解体され、現在は駐車場となっていますが、みなさんは移転前の様子を覚えているでしょうか。


今は新しいと感じる足利銀行小山支店もいつかは建物が古くなり、かつてのように改修や移転をするときが訪れます。
そうなったときに、今の様子を誰かに伝えられるよう「今の風景」をしっかりと心に残しておきたいですね。
国道4号 1965年開通以来、交通の要として多くの人の生活を支える
国道4号は、東京都中央区の日本橋を起点とし、青森県青森市を終点とする約839kmにも及ぶ国道です。
小山市役所前を通る国道は1965年に開通し、新4号国道の開通後は「旧4号」として馴染み深い通りかと思います。

写真は国道4号バイパス工事時の様子です。

通りには砂利があり舗装工事のために重機が使われていることが分かります。
また、国道4号沿いに並んでいる看板に目を向けると現在も営業されているお店が見え、歴史の深さを感じられます。
小山市の交通の要として多くの人の生活を支えている国道4号。
まだまだ知られざる歴史がありそうです。
思川 屋形船が夏の風物詩
小山駅西口から10分ほど歩くと見えてくる思川。
思川では大正から昭和にかけて、屋形船が夏の風物詩となっていました。

思川の傍で暮らす人に話を伺うと、船をこぐ職人だけではなく芸者さんも乗船し、お酒を飲みながら舟遊びを楽しむことができたといいます。
屋形船に乗りながらアユ漁を間近で見ることもできたそうで、接待に使われることもあったんだとか。
当時のように思川で屋形船に乗る人の姿はありませんが、釣りを楽しむ姿やSUP(水上スポーツ)を楽しむ姿などがあり、今も親しまれ続けている様子は変わりません。

皆さんも昔の様子を思い浮かべながら、今ある思川の姿を見に訪れてみてはいかがでしょうか。
観晃橋 木造から鉄筋へ、120年以上の歴史ある橋
観晃橋は120年以上の歴史を誇り、思川と日光連山の見晴らしの良さから日光を観る橋「観晃橋」と名付けられました。
1899年(明治32年)に木造の橋が建設、昭和には鉄筋の橋に架け替えられましたが、1977年(昭和52年)の台風による洪水で崩壊。その後、現在の橋に再建されました。

観晃橋再建の際には市民から「機能だけを重視した無機質な橋ではなく、人間性や美観に配慮したデザインにしてほしい」という声が寄せられました。
小山市の歴史において観晃橋は都市景観を考える大きなきっかけとなり、現在も市民に愛される小山市のランドマークになっています。

小山市役所第二駐車場 市民プールがあり子どもたちで賑わう場所
かつて、小山市役所第二駐車場には市民プールがありました。

プールの奥側には木が生い茂り、今でも同じ場所に残っています。
子どもたちが集まり楽しそうに過ごす姿からは、当時の賑わっていた様子が伝わってきます。
すぐ傍を流れる思川の河川敷から駐車場を眺め、当時の様子と比べてみると変化の大きさをより感じることができます。

駐車場を利用した際に立ち寄り、眺めてみてはいかがでしょうか。
そのまま河川敷を散歩し、思川を眺めるのもお勧めです。ぜひお試しください。
城山公園 かつて小山氏が築いた祇園城
JR小山駅西口から思川へと伸びる祇園城通りを進むと、石垣となだらかな坂が目印の城山公
園が見えてきます。
城山公園は、かつて鎌倉幕府の有力氏族であった“小山氏”が居城である祇園城を築いていました。
小山氏は1150年に小山政光が名乗りはじめ、1576年北条氏によって陥落されるまで約400年の歴史を持つ氏族でした。
1619年に祇園城は廃城し、その後明治時代には第二代衆議院議長 星亨の別邸がありました。
現在の城山公園の形となったのは、1956年(昭和31年)のこと。60年以上の歴史を重ねた公園は、リニューアルに向けて工事が進められています。


城山公園 季節で移り変わる景色
城山公園といえば、小山市屈指の桜の名所。足を運んだことがある方もいるのではないでしょうか。

白黒の写真は、昭和57年(1982年)の”小山市 桜まつり”の様子です。満開の桜の下、子どもから年配の方まで、談笑しながら過ごしている様子が伺えます。そんな昔から親しまれてきた城山公園は再整備が進められています。

公園内の様子が変わるだけでなく、思川との行き来がしやすくなる予定です。
春は花見、夏は思川、秋には紅葉など、季節に合わせてご友人やご家族と訪れるのも良さそうですね。リニューアルした城山公園で過ごせる日を心待ちにしたいと思います。
須賀神社参道 22日間開催された産業祭
小山駅西口から徒歩10分。小山評定が行われた須賀神社境内に向けて、石畳の参道がのびています。

神社を目指しゆっくりと歩く人たちや、風情のある景色を眺めに訪れる人たち。
そんな地域で暮らす人たちが訪れる参道では、かつて市制10周年を祝う「産業祭」が開催されたことがありました(写真は1960年代の様子)。

驚くべきことに、この産業祭の期間はなんと22日間だったようです。
産業祭では、菊花大会や農産物の展示会が行われていたほか、お神輿や舞台もあり大規模なお祭りでした。
今も昔も、小山市のお祭りの中心にある須賀神社と参道。伝統の深さと石畳の美しさを感じられる須賀神社参道に一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
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