ニシグチ時間 Part2【前編】~西口エリアの歴史スポットを探索!~

樋口

こんにちは!ニシグチラバーズ(市民ライター)の樋口です。
シリーズ「ニシグチ時間」の記事を担当します!

本シリーズ「ニシグチ時間」のコンセプトは「空き時間をニシグチエリアで素敵な時間に!」

電車やバスの待ち時間、授業の合間などを使ってニシグチエリアを楽しんでもらいたいと思い、テーマに沿って探索することができるルートを紹介します。散歩のルートとしてもおすすめです。

Part2では、ニシグチエリアの「歴史」にフォーカスしたルートを、前後編に分けて紹介します。

前編のルートは、訪れることで小山の歴史を学ぶことができるスポットを選びました。徒歩でおよそ45分でまわることができます。前編で紹介した場所もいくつか登場しますが、探索する視点を変えれば、また違った発見をすることができます。

【主なスポット・経過時間の目安】

小山駅西口→小山宿通り→小山宿本陣跡、脇本陣・明治天皇行在所石碑(10分)→小山市役所(小山評定跡)(20分)→小山政光・寒川尼像(30分)→祇園城通り→小山駅西口(45分)

それでは、探索開始!

「宿場町」としての小山

小山駅西口を出発し、左手の通りへ向かいます。小山市の中央駐輪場の入口が目印です。

小山駅西口から左手に進み、この通りを進みます。

この道をまっすぐ歩くと、大きな通りに突き当たります。

この通りは「小山宿通り」といいます。左手へ進み、押しボタン式の横断歩道を渡り、さらに左手へ向かいます。

「小山宿通り」の看板と通りの様子

横断歩道から歩いて1分ほどすると、2つの石碑と建物が見えてきます。

これらの石碑は、明治天皇がこの地を訪問されたことを記念して作られたものです。石碑にはそれぞれ「明治天皇小山行在」「明治天皇御駐輦之碑」と記されていました。

明治天皇行在所石碑

 また、小山は江戸時代に日光街道の宿駅に指定され、本陣が一つ、脇本陣が2つ設けられました。この場所は脇本陣のうちの一つであったそうです。

小山宿脇本陣跡の様子

歴史を変えた「小山評定」

さて、次は小山市役所へ向かいます。石碑などがある場所から南方面(左手)に進み、始めの交差点を右折します。その道を3分ほど直進すると、再び大きな通りが見えてきます。

「小山評定通り」から見る小山市役所

この通りは「小山評定通り」と呼ばれ、その名の通り、小山評定に関連したスポットが並びます。

今回はその中でも、市役所の敷地内にある小山評定記念碑を見に行きます。

小山評定通りを右折して進み、歩道橋を渡って小山市役所へ向かいます。庁舎のちょうど目の前に石碑が立っています。

※小山市役所周辺は現在工事が行われているため、市役所内や周辺の道路を歩く際には、現場の誘導に従うようお願いします。)

小山市役所内にある小山評定記念碑

ところで、小山評定とはどのような出来事でしょうか。

1600年7月、会津地域を制圧していた上杉氏を討伐するために小山に滞在していた徳川家康は、石田三成が挙兵したことを知ります。そこで、家康はこの地で諸将を集めて軍議を開き、石田三成討伐のため西方へ向かうことを決断したとされています。この一連の出来事が、一般に「小山評定」と呼ばれています。

石碑には小山評定について、その由来が記されています。

小山評定と、それに関連した家康の行動に関しては様々な説が提唱されており、現在でも議論が続いているようです。いずれにせよ、小山というまちが日本の歴史に深くかかわっていることを示すものですね。

また、市役所の隣にある小山御殿広場は、徳川家の日光社参の際に、滞在先として利用された御殿の跡地です。広場で発掘調査が行われた際には、祇園城の遺構や硯(すずり)が出土したそうです。

小山御殿広場にある看板。この場所のかつての様子を知ることができます。

さて、次の目的地に向かいます。市役所から西側へ進み階段を降りて、駐車場の方向へ歩いていきます。

思川と「小山」のはじまり

市役所駐車場の脇の道路を通り、坂を上がると思川河川敷に到着します。思川は古くから水運などに用いられ、小山の街の機能を支えてきました。

そんな思川河川敷を北上すると、2人の男女の石像が見えてきます。

小山政光・寒川尼像と小山市役所

この2人は、小山政光とその妻である寒川尼(さんがわに、さむかわに)です。

小山政光は、平安時代末期から鎌倉時代の初めころに活躍した人物で、「小山氏」の祖とされています。政光は藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の子孫です。藤原秀郷は、平将門の乱を治めた人物として知られています。政光はこの地域の領主としての活躍にとどまらず、源頼朝に従い数々の軍功を挙げました。

政光の妻・寒川尼は源頼朝の乳母(育ての親のような立場)でした。寒川尼も、彼女の息子たちとともに、頼朝に協力したとされています。

そんな2人の像は思川を向いて立っています。

2人の石像と思川

この場所から北の思川上流方面に目を向けると、城山公園が見えます。

城山公園は小山市の居城であった「祇園城」の跡地に建てられた公園です。現在の城山公園の面積よりも、かつての祇園城は広大で、現在の御殿広場や小山駅西口近くもその一部であったそうです。

最後に、そんな城山公園を横に見ながら、河川敷から右折し、「祇園城通り」を直進して小山駅西口に向かいます。なお、思川河川敷と祇園城通りとの合流点にある看板から、「思川」という川の名前の由来を知ることができます。

思川河川敷入口にある看板。奥に城山公園が見えます。

ちなみに、祇園城通りという名前が制定されたのは2003年のことです。かつては「小山駅前通り」と呼ばれていましたが、市民からの公募によって、新たな名前として決まりました。

さて、小山駅西口に戻って来ました。今回のルートはこれにて終了です。

お疲れさまでした!

おわりに

今回は、歴史スポットを巡りながら、ニシグチエリアのかつての姿や出来事について紹介しました。通りの名前の由来が、歴史的な出来事に基づいていることに気づき、小山と歴史とのつながりの深さを感じました。

小山市役所周辺や城山公園などは、現在再開発などによって姿が大きく移り変わっています。そんな中でも小山の歴史が伝えられ続けてほしいと、探索をしながら思いました。歩く距離、時間などに合わせて、気になった場所をぜひ訪れてみてください!

後編では、ニシグチエリアの寺社仏閣を巡るコースを紹介します。そちらもお楽しみに。

それでは、ニシグチエリアで素敵な時間をお過ごしください!

シェアしていただけると嬉しいです!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA