【小島屋】50年以上愛される看板メニューの「たい焼き」と「焼きそば」。変わりゆく小山駅西口エリアと共に歩んできた名店

小山駅西口から徒歩2分ほどにある、「たい焼き」と「焼きそば」が看板メニューの小島屋さん。駅を利用する学生や社会人、昔から通う常連さんなど、幅広い年齢層のお客さんがお店に訪れます。店内で焼きそばを頬張る人、たい焼きを嬉しそうに持ち帰る人、そんなお客さんの姿につられてお店に足を運ぶ人もしばしば。

昔からあるお店だと聞いているけれど、いつから営業を始めたのだろうか。お店の歴史について店長の小島さんに尋ねてみると、昭和42年(1967年)の開店時から50年以上、小山駅西口エリアでこだわりの味を提供してきた老舗なんだとか。これまでに3度の移転を経験し、西口の変わりゆく街なみと共に過ごしてきた小島屋さん。そんな昔のことと、今のこと、両方の視点から小島屋さんの魅力をお届けしたいと思います。

こだわりの自家製を提供する。看板メニューの「たい焼き」と「やきそば」

小山駅西口を出て南(左手)へと伸びる道、「三夜通り」。その通りにある「カフェ コロラド」の角を曲がると、美容室や薬局、楽器店、居酒屋、カレー屋など、様々なお店が立ち並ぶ「阿夫利通り」が見えてきます。

今回お話を聞いた「小島屋」さんがあるのも、この阿夫利通り。小山駅西口から徒歩2分のお店には、駅を利用する学生、子ども連れのお母さん、昔から通い続ける常連さんなど、幅広い年齢層の人たちが訪れています。

小島屋外観

赤くて目に留まりやすいお店の看板には、「たい焼き」と「やきそば」の文字が書かれ、一目で小島屋さんの看板メニューだと分かります。たい焼きは、こしあん、つぶあん、クリームの王道3種の他に、チーズやチョコのように季節限定メニューも味わうことができます(たい焼き160円~)。

こだわりの味を追求してきた小島屋のたい焼き

また、太めの麺が特徴的な焼きそばは、並盛、大盛り、特大、特々大と量を選べて、胡椒やソースをかけたり、半熟卵をトッピングしたりなど、お好みの食べ方を見つける楽しみもあるようです(焼きそば490円~)。

これらの看板メニューは、小島屋さんが始まったときからの自慢の一品。たい焼きに使用する生地とあんこ、さらに、焼きそばの麺とソースも自家製とのこと。以前は製麺所で仕入れていた焼きそばの麺は、納得のいく味を追求した結果、自分で作ることになったんだとか。

自家製ソースと自家製麺を使用した小島屋の焼きそば

「来てくれた人の中には、『この焼きそばは、よそとはちがうよね。やっぱりこのお店の焼きそばが良い』と言ってくれるお客さんもいますね」と、嬉しそうに話す小島さん。くせになる焼きそばと、何度食べても美味しいたい焼き。どちらも小島さんのこだわりがお客さんへと伝わり、再びお店に訪れる魅力を作り出しているのだと思います。

小山駅西口エリアで3度の移転。変わりゆくまちの様子と共に歩む

看板メニューを売りにしている小島屋さんですが、昭和40年(1965年)は「太陽堂」という名の本屋さんだったといいます。古くから付き合いがある人はこちらの呼び名が馴染み深いんだとか。

三夜通りにある「みずほ銀行」の辺りにお店を構えていましたが、客足が遠のき始めたことをきっかけに業態を転換。昭和42年(1967年)に、「たい焼き」と「焼きそば」を売り始めたといいます(たい焼き1個あたり、当時の価格で10円ほどだったそうです)。

昭和40年代の小島屋外観

昭和50年(1975年)頃になると、三夜通りにあるドンキホーテの向かいにお店を移転。小島屋さんの隣の隣には、ライバル店だった大判焼き屋さんがあったと小島さんはいいます。

「三夜通りには多くの歩行者が訪れ、横切れないこともありました。昔は秋になると農家さんが忙しくなってお客さんの足が遠のいたんですよ。うちにお客さんが来ないときは、大判屋さんにも人が来ないし、お客さんがくるときは同じくたくさん来ましたね。良い意味でのライバルでした」

当時を振り返る小島さん。お店の前で学校帰りの学生が椅子を取りあう姿を見かけたり、飲み屋街があったので会社帰りのサラリーマンがお店に来たりと賑わっていたそうです。

昭和50年代の小島屋外観

特にすごかったのが、昭和50年(1975年)12月に「およげタイ焼きくん」が発売されたとき。たい焼きブームに火がついて、開店から閉店まで一日中お客さんが並び、あんこが無くなってお店を閉じることもあったんだとか。夜にあんこを仕込んでは、朝に販売するといった忙しない日々が続いたといいます(この頃になると、たい焼き1個50円で販売)。

調理場に飾られた「およげたいやきくん」

それからしばらく経った平成の始まり頃。現在のロブレや立体駐車場のある辺りには、木造の老朽化した建物が密集していたことから再開発が進むことになります。小島屋さんも移転することになり、建物完成まで仮店舗で営業することに(半年間ほど店舗が持てない日々が続き、とても不安だったとのこと)。そして、平成6年(1994年)6月、現在の場所でお店を構えることになりました。

小島屋の店内

仮店舗を含めると合計3度の移転がありましたが、開店当初から変わらず小山駅西口エリアで50年以上お店を構えてきた小島屋さん。歴史あるお店には、子どもの頃から通ってくれている人や、仕事で小山を離れた人が遠方から訪れることもあるそうです。

こだわりの味も場所も、昔から変わらず続いているからこそ、小島屋さんを大切に思ってくれる人たちがいるのだと思います。

注文後のひと時、ちょっとした会話も楽しみの一つ

たい焼きを注文した後、かたん、かたんと、たい焼き機の音が響き渡ります。

たい焼きを作る小島さん

たい焼きが出来上がるまでのひと時に、「寒いね。布団から出れないよね」といった世間話から話が広がっていきます。

「昔は喫茶店があって、用品屋さん、スポーツ屋さん、八百屋さんもあったけれど、今でも残っているのは、うちと電気屋さんとコロラドさんくらいかな。この年になると色んなことを思い出すねー…」

懐かしそうに昔のことを思い出す小島さん。続けて、「今はこういう風に会話できるところが少ないでしょう」と言われ、「確かに減ったのかもしれないなぁ」と、少し寂しい気持ちになりました。

減ってしまったかもしれませんが、ニシグチオヤマでお届けしたMELTさん幸の湯さん、これから紹介予定のカフェやお茶屋さん、コワーキングスペースなど、ふらりとお店に立ち寄り、ちょっとした会話を楽しめる場所がニシグチエリアにはあります。

昔のコトも、今のコトも、両方の視点から足を運んでみたくなるような情報をニシグチオヤマからお届けしますので、今後ともよろしくお願いします。魅力的な人やお店など、まだまだお届けしていきますよー!

最後になりますが、今回紹介した小島屋さんが気になった人、懐かしさを感じた人はぜひ足を運んでいただけると嬉しいです。看板メニューの「たい焼き」と「焼きそば」は、特に美味しいですよ。お土産や差入れにもお勧めですので、ぜひお試しください。それでは!

焼き上がり直後のたい焼きは絶品

小島屋のアクセス・営業時間

「小島屋」 のアクセス・営業時間は以下のとおりです。

小島屋の店舗情報
  • 住所:〒323-0023 小山市中央町3-3-10
  • 営業時間:10時〜19時
  • 定休日:水曜日
  • 電話番号:0285-22-2883
  • アクセス:JR小山駅から徒歩2分
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1件のコメント

初めまして、大将。今もお元気そうで何よりです。
もうそのエリアでは「生き証人のお一人」では無いでしょうか。

小島屋さん、創業時は地元では「太陽堂(?)」と言っていたような記憶があります。

画像の「たい焼き焼きそば」は本当に当時のままですね。あの味が蘇ります。
紙袋で持ち帰りもあり、立ち食いもしました。焼きそばも店内で頂いたり、テークアウトさせて貰ったりしましたね。

大将は2代目さんですよね。
大将というよりは、先代ご夫婦に可愛がってもらいましたよ。叱られもしました。
『 昭和40年代の小島屋外観 』この当時と、
再開発途中「田中スポーツ」さんの隣で営業されていた時の近所の家族ぐるみの客でした。

その仮店舗の前の三夜通りは小学校の通学路、そして近隣には友達の家が多数、
大将には、目が合うたびに声をかけて頂きましたね。

>ライバル店だった大判焼き屋さんがあったと小島さんはいいます。

「ハワイ・ハウス」さんでしたね。たい焼きか大判焼きか、それ以外はメニューはほぼ同じでした。
仮店舗になった時、小島屋さんの立地が陰に隠れ目立たなくなり、間口も狭く、ご苦労された事でしょうね。

大将の奥様と私の母姉妹が大変仲が良かった思い出があります。

そんな母姉妹と大将の奥様姉妹に連れられ、当時、東京千駄ヶ谷にあった東京体育館に
小山駅から始発電車に乗り「流行歌のコンサート」に、一緒に連れて行った思い出迄蘇りました。

画像の名代たいやき、やきそば … 半世紀以上変わってないですね。味が蘇ります。
先代御夫婦には、夏は『かき氷』を御馳走にもなりました。

どうぞ、これからもお元気で、『ニシグチオヤマの味』を伝え続けて下さいね。
小島屋さん…「一斗二升五合」。遠く山陰の地から応援いたしております。

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