かつて小山市内に数軒あった銭湯も、今ではたった1軒「幸の湯」だけとなってしまった。
1961年創業の「幸の湯」は、昔ながらの番台スタイルを続け、訪れた人たちを出迎えてくれる。
昭和レトロな冷蔵庫には牛乳が並び、浴室には富士山のペンキ絵、黄色い「ケロリン桶」など、「銭湯といえばこれだよね」といった風景が今も残っている。
そんな、どこか懐かしさを感じさせてくれる「幸の湯」を営むのは3代目の星良則さん、裏方でお手伝いをする妻の素子さんと良則さんのお母さんだ。良則さんは2020年12月から、お母さんは創業当初から、訪れた人たちとの何気ない会話を大切にしてきたという。
役割を終えた銭湯が多いなか、今も地域で暮らす人たちが「幸の湯」へ足を運ぶのはなぜだろうか。
また、60年近く営まれてきた「幸の湯」の様子は、昔から変わっていないのだろうか。
「幸の湯」の昔のコトと今のコトをお伝えしたい。
幸の湯を堪能する
小山駅西口から徒歩7分ほどの場所にある「幸の湯」。閑静な住宅街にある銭湯の隣にはコインランドリーが併設され、湯船に浸かっている間に洗濯することも可能だ。
銭湯の入口には、富士山をモチーフとしたのれんが掛けられており、左は男湯、右は女湯へとつづいく。靴を預け、脱衣所へと向かうと、番台に座る良則さん、お母さんが温かく迎え入れてくれる。
番台で入浴料(大人420円)を払い、ロッカーに荷物を預け、入浴準備を整えよう。
初めて利用する方は”入浴の心得”を読むこともお勧めだ。
浴室に入ると、男湯には「富士山」、女湯には「立山連峰」のペンキ絵が壁の一面に大きく描かれている。銭湯といえばお馴染みのペンキ絵だが、銭湯の減少とともに絵師の数も減少。今では日本に3人しか絵師がいないとのこと。
かけ湯をして、体を洗っていると目に留まるのが綺麗な鏡だ。地域の方々からの支援により、数十年ぶりに張り替えられた鏡はピカピカで、「毎日磨いています。本当にありがたいです」と良則さんは話す。
常連さん同士だろうか、湯船に浸かっていると度々会話が聞こえてくることも。どのような人たちが訪れるのか良則さんに尋ねると、「周辺だけかと思いきや、結城、筑西、下野、野木あたりからもきますよ。近くに銭湯がないんだと思います」と話してくれた。
お風呂上りには、定番の牛乳やサイダーを飲むことができる。
普段以上に美味しく感じてしまうのは、あるあるなのではないだろうか。
子どもの頃から慣れ親しんできた幸の湯
父親が亡くなったことを機に「幸の湯」を引き継ぐことを決め、2020年12月に3代目となった良則さん。元々はサラリーマンで、銭湯を経営するのは初めてのこと。思っていたよりも早いタイミングで引き継ぐことになり、戸惑うこともあったそうだ。
「最初は大変でした。 親父の具合が悪くなってから一緒に行動して、見たり聞いたりはしていましたが、お湯を作るための機械の動かし方も分からなかったんですよ。そこで、機械をいれてくれた鉄工所の人に来てもらい、教えてもらったりと、手探りで進めていましたね」
良則さんは幼少期の頃から銭湯に入っていた。汗かく季節になると、多いときは1日に3回入ることもあったという。そんな思い出のある銭湯のお湯を絶やさないよう、「自然に湧き出るような温泉」を提供している。
子どもの頃の「幸の湯」での思い出について、他にも聞いてみた。
すると、昔はコインランドリーが併設されていなかったと、良則さんは話してくれた。
「昔は店の隣がコインランドリーではなく、将棋を指すためのスペースでした。そして、2階は休憩所。お風呂に入った人が渡り廊下を通って階段を上り、お茶飲んだり、ご飯を食べたりできるようなところでした。おばあちゃんが踊りの師匠だったので、踊りを楽しむ人たちもいましたよ」
おばあちゃんが亡くなり、休憩所を管理できる人がいなくなったため、コインランドリーができた。友達や仲間同士、出会った人たちが一緒に交流できるような、そんな空間が「幸の湯」の隣にあったようだ。
今も変わらないお客さんとの大切なやり取り
良則さんのお母さんにも話を聞いてみた。
小山で銭湯を始める前は東京の中野や四谷で、良則さんの祖父が銭湯を借りて、 良則さんの父が手伝い営業していたという。その後、小山で売りに出ていた銭湯を見つけたことから、1961年に「幸の湯」が始まることとなる。
当時は 銭湯を利用する家庭も多く、小山駅西口周辺にも銭湯が何軒もあったそうだ。幸の湯にも近所で暮らす人たち、近くで商売をしている人たちなど、多くのお客さんが訪れ、「毎日忙しかった」と話してくれた。
「当時は脱衣所にかごが置けないほど沢山のお客さんが来てくださって忙しかった。釜を沸かす人、木を小さく切る人、子どもたちの服を脱がせたり着せたりする人たちも銭湯で働いていました。他にも、背中を流す人、 髪を洗う人もいましたよ」
お金を払うと「洗髪」などと書かれた木札を受け取ることができ、銭湯内にいる「三助さん」に渡すと、洗ってもらえるサービスがあったというから驚きだ。
昔はあったサービスが無くなった一方で、 昔から変わっていない風景もある。
少し高めの位置から銭湯内を見渡すことができる番台スタイルもその一つだ。
「お風呂でのぼせた人がいたときに、すぐに発見できるし、泥棒がいたときにも見つけやすい。当時は鍵の無い棚に荷物を置いていたので、泥棒もいっぱいいましたよ」とのこと。
また、訪れたお客さんとの会話を大切にしているスタイルも変わらない。
「当時は雇った人が番台に座ることもありました。『いらっしゃいませ、こんばんは、といった挨拶だけしかしない人を番台においてはダメだよ、もっとお話をさせなさい』とお客さんから注意されたこともあった。やっぱりお話しすることで仲良くなって、また来てくれるようになるのだと思います」
お客さんとの会話を大切にしてきたこと、それこそが銭湯が少なくなった今でも「幸の湯」が愛されている理由なのかもしれない。
今しかないこの銭湯の姿を多くの人に届けたい
「人がすき、話すのがすき、みんなと友達になりたい」という良則さん。
銭湯には良則さんの趣味であるバイクやカラオケ、ラーメン等の情報が書かれた紙が貼ってあり、これを見て話かけてくれるお客さんもいるとのこと。お客さんとの会話を大切にするスタイルは、これからも変わらず続いていきそうだ。
変わらず続いていくものがある一方で、今しか見れない銭湯の姿もあると良則さんは話す。
「私の子どもが継ぐことになると、改修しないといけない箇所もでてきて費用もかかるし、銭湯の雰囲気も変わってくる。昔から続いてきた銭湯の姿は今しかないと思う」
そんな「幸の湯」の姿を多くの人に知ってもらおうと、ショップカードやパンフレット、Twitter、Facebook、InstagramといったSNSの準備を良則さんは進めている。
また、コインランドリーの2階については、「趣味のカラオケができるように解放してみたい気持ちもありますが、まだどうなるか」と新たな動きについて、笑顔で話してくれた。
「多くのひとたちに足を運んでもらえたら嬉しい。若い人たちにもきてほしい」と話す、良則さん。
タオルとシャンプーと石鹼を持って、昔ながらの銭湯「幸の湯」に足を運んでみてはいかがだろうか。
幸の湯の店舗情報
幸の湯の店舗情報は以下のとおりです。
週2で幸の湯♨️行ってます。癒される空間てす。
コメントありがとうございます。癒やされる空間、わかります!!週2で通われていると、もう幸の湯さんは生活の一部ですよね!
太平山の紫陽花の季節にまた寄らせていたきます。
昨夜はその後 横山ホルモンを堪能して帰途につきました。