城山公園(祗園城)とは?中世小山氏の歴史を紹介!

小山駅西口から祇園城通りを歩くこと10分。思川にかかる橋「観晃橋」の手前の右側にあるのが城山公園(祗園城)です。

城山公園は現在、再整備に向けて工事が進められています。歴史がある城山公園の歴史を紐解くと、時代は中世までさかのぼります。本記事では、城山公園に居城を構えた中世小山氏と城山公園(祇園城)の歴史を紹介します。

城山公園とは?中世小山氏の歴史を紹介!

小山駅西口から歩いて10分のところにあるのが城山公園。

城山公園は、思川を臨む高台にあり、かつて中世小山氏の居城がありました。

城山公園の入り口

中世小山氏の歴史を振り返り、城山公園(祗園城)の歴史を紐解いてみましょう。

中世小山氏 祗園城を居城としていた時代

ときは10世紀。関東では下総の武将、平将門が朝廷に対して反乱をおこします。天慶3(940)年に将門を討ったのが、下野国の武将・藤原秀郷です。

久安6(1150)年に藤原秀郷から7代の子孫にあたる政光は、下野国都賀郡小山郷を本拠として小山氏を名乗り、関東の雄、小山氏の歴史が始まります。この小山政光が居城としたのが、祇園城(現在の城山公園)です。

小山政光と寒川尼の像(小山市役所裏の堤防沿い)
長福城跡(八幡町)あたりから祗園城を思川越しにのぞむ!

祗園城という名前の由来 小山氏が、現在の城山公園の場所に城を築いたとき、城守りの神として祇園社(現在の須賀神社)をまつったことから、祇園城と呼ばれるようになったと伝えられています。

祗園城の陥落から北条氏の没落まで

天正3(1575)年に強大な武力によって北条氏は着実に勢力を拡大し、ついに北条氏は小山氏領に侵攻します。1度は退けるも、翌年、居城の祇園城は陥落します。

祇園城跡にかかる祇園橋

秀綱は佐竹義重を頼り逃亡し、ここに400年続いた関東の名門、小山氏は滅亡します。その後、北条氏は北条氏照を祇園城代に任じ、秀綱もその一配下となることで小山復帰が認められます。

天正18年(1590年)に豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏の没落

小山氏の旧領は結城晴朝に与えられます。秀綱は晴朝に従うことになり、秀綱は小山氏の再興を運動したものの果たせず。小山氏の家督は秀綱の後は孫の小山秀恒が継ぎ、後に秀恒の子の小山秀堅が寛文年間に水戸藩士として取り立てられ存続し、現在に至っています。

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宇都宮城へ移封・廃城へ

元和二(1616)年には本多正純が祗園城主となりますが、元和五(1619)年に宇都宮城へと移封となり、祗園城は廃城となりました。

宇都宮城址公園

明治時代・昭和31年に城山公園の開園!

明治時代には、城山公園内の場所に、第二代衆議院議長であった星亨の別邸が建築されました。

祗園城は、昭和 26(1951)年には地区公園として都市計画決定され、平成3 (1991)年に国史跡に指定

そして、今から約65年前の昭和31年(1956)年に城山公園が開園しました。

約65年前に城山公園が開園!

小山駅からも歩いてすぐの場所にある身近な公園の城山公園。この地で、約500年前から壮大な歴史があったことをほんの少しでも知っているだけで、目の前に映る景色が違って見えてきます。おもしろいですね。

城山公園の現在とこれからについて

城山公園では、春になると小山市の花である思川桜や、ソメイヨシノが咲き誇りお花見を楽し無事ができます。

秋には見事な紅葉も見られ、伝説が残るイチョウも紅葉の季節はなんとも美しく見事!

現在、城山公園では再整備による工事中で飲食施設やアウトドアを軸とした公園活用事業として、飲食施設、デイキャンプサイト、イベント(青空図書館、キッチンカー等)開催などが予定されています。楽しみですね!

▽城山公園の再整備について詳しくはこちらの記事をご覧ください

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